伊予市パーフェクトガイド
ようおいでたなもし、伊予市パーフェクトガイドの世界へ~♪~♪~♪
第236回目は、伊予市にある「こたろう博物館」の館長であるいせきこたろうさんの
『伊予市、ナニミル?ナニヲシル?』
第49回五色浜公園散策シリーズ7回目です♪
お楽しみください!
五色浜公園散策シリーズは早いもので、今回で7回目。今回は、五色浜公園の東側、公園の入口に鎮座する五色浜神社について述べることにする。
■五色浜神社
まずは概要と沿革。この神社は、海の神である住吉三神(上筒男命、中筒男命、底筒男命)、武勇神・息長帯姫命、学問の神・菅原道真を祀っている。祭神が物語る通り、その原型は住吉神社と天神社にある。毎年7月の最終週に開催されている「伊予彩まつり」が、以前は「住吉まつり」と称していたのもその名残だ。
江戸時代に灘町の法昌寺付近にあった住吉宮を、明治4年(1871)に現在地に遷宮して住吉神社とし、明治42年(1909)に灘町の法昌寺北側にあった天神社を合祀して、五色浜神社と改称したのである。この時、明治の元勲である伊藤博文がここを訪れたらしく、「五色濱神社」の扁額(社号額)の文字を揮毫したという。拝殿の正面には今もこの扁額が、「天神社」の扁額と並んで掛けられている。

五色浜神社拝殿

扁額
そういや、このシリーズの第46回(五色浜公園散策-(4))を思い起こして欲しいのだが、この神社では1月10日に「十日えびす」が行われている。冒頭に述べた当社の祭神の中には、恵比須神(事代主神)の名は含まれていない。いったいどういうことか。
神社に祀られていないような神様に因んだ祭りをするようなことは通常は有り得ない。五色浜神社の拝殿に向かって左側の塀沿いには、多数の境内社が並んでいる。そちらに目を移してみよう。
境内社の各小祠には、ご丁寧に神社名を記した札が取り付けられているので、どのお社にどの神様が祀られているのかを容易に把握できる。ありがたいことだ。
手前から以下のような境内社が鎮座している。

五色浜神社境内末社群

境内社恵美須神社
・九重稲荷神社(祭神:宇迦御魂神)
・海津見神社(祭神:豊玉姫命)
・若宮神社(祭神:品陀和気命)
・生目八幡神社(祭神:悪七兵衛影清(平影清))
・多賀神社(祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊)
・和霊神社(祭神:山家清兵衛公頼)
・厳島神社(祭神:市杵島比売命・多紀理比売命・多岐津島姫命)
・恵美須神社(祭神:大己貴命・少比古那命)
・五色姫神社(祭神:五色比売命)
奥から二番目に、ちゃんと恵美須神社が置かれているのを確認できる。その小祠の前には、蛭子・大黒の石像も置かれているのでわかりやすい。また、その横には「恵美須神社造営寄付者芳名」碑が建てられており、現在の祠が昭和59年(1984)に造営されたことがわかるのだが、『御替地古今集』を繙くと、明治後期の合祀前に天神社境内に鎮座していたようであり、割と歴史が深い神社なのである。
■五色姫神社

境内社五色姫神社
ここで気になるのは、境内末社群の一番奥手に鎮座する五色姫神社である。境内末社というものは、大抵は昔、郷・村内の各所に鎮座していた小さな神社を、明治の神社合祀令に基づいて郷社・村社レベルの大きな神社に合祀したときに、合祀先の境内に祀るものである。但し、この五色姫神社は別で、平成になって新たに祭祀したものである。
ここ五色浜には「五色姫伝説」なるものが伝わっている。この「五色姫」という呼称が定着したのは、古い時代かと思いきや、実は平成に入ってからのことであり、意外と歴史は浅いのである。平成元年(1989)以後、毎年3月第4日曜日に「女性の祭典―五色姫復活祭」を継続して開催するうちに、「五色姫」という名称を冠した商品開発も進み、平成6年(1994)には「五色姫海浜公園」という公園も開設されるようになり、こうして「五色姫」という呼称の認知は高まり、定着するようになった。
さて「五色姫伝説」とはどのような話か。『伊予市誌』や『伊予市のむかし話』という本に掲載されている物語をざっと要約しておこう。
平家一門が源氏に追討され、壇の浦(今の山口県)で亡ぼされて間もないころ、郡中の浜辺に、美しい五人の姫が小舟で流れ着き、小屋らしいものを建てて暮らし始めた。その頃の郡中の浜辺は、今と違って松林が広がり、人家も少なく、村人達は漁などをして暮らしていた。村人は皆貧しく、姫達を見かけることはあっても噂するだけで救済することはなかった。
ある日のこと。五人の姫がいつものように浜辺の松の下で佇んでいたところ、足元に赤い蟹が這っているのが目にとまった。一番年上の姉が、「なんと可愛い赤の蟹だこと」と呟いた。赤は平家の旗の色であり、栄華を極めた平家のことを思い起こしたのだろう。その後、急に表情を険しくして、「それにつけても憎いのは、源氏の白旗。どこかに憎い白い源氏蟹はいないものか。見つけて踏み潰してやりたい」といい、妹達に白蟹を見つけることを命じた。四人の妹姫達は白蟹を一生懸命探すが見つからない。七日間続けて探したけれども見つけることができなかった。
長姉は激昂し、妹達を厳しく叱責した。困り果てた妹達は、「白蟹が見つからないなら、赤蟹に白粉を塗って持ち帰れば良い」と考えた。赤蟹に白粉を塗って持ち帰ると、長姉は一瞬微笑んだものの、その蟹を手洗鉢に投げ込んだ。すると白粉が取れ、元の赤蟹に戻ってしまった。怒りが爆発した長姉は、咄嗟に横にあった太刀を手にとり、末姫を斬り付けて殺してしまった。残り三人の妹姫はその場から逃げ出したものの、逃げ切れないことを悟り、青い波間に身を投げて自害した。末姫の遺骸を抱えた長姉も、「憎い源氏を討ちとった」と叫びながら海中に飛び込み自殺した。
今もこの海辺には、赤・白・青・黄・黒の五色の石が寄せては返す波にさらさらと濡れて光っている。後、誰言うとなく、この浜を五色浜と呼ぶようになった。
このような、何とも悲しい物語になっている。この物語は多くの文献に掲載されているのだが、文献によって物語のニュアンスが微妙に異なっている。上述のような「長姉が末姫殺害後自殺、残り三名自殺」で語られるパターンが最も多いのだが、「五人共が世をはかなんで海に身を投げた(五人自殺説)」とするもの、「高波に攫われて五人共死んでしまった(事故説)」などもある。話のあらすじが揺らぐのはいったい何故なのか。冷静に分析していくと、さまざまな疑問点が浮かび上がる。
・姫達の漂着時期は何時だったのか。「屋島の戦い」・「壇ノ浦の戦い」といった時期を語る場合や、元暦二年/寿永四年(1185)と限定する場合が見られる。
・五人の姫は平家直系の人だったのか。平家に仕えた人々かも知れないし、平家に加担した地方の有力者あるいはその関係者かも知れない。
・村人は如何にして、何を根拠として、漂着した姫達を「平家関係者」と認知したのだろうか。関わろうとしなかったのに。外見だけで判断したのだろうか。
・漂着した女性五人は本当に生きていて、この浜辺で一時期生活していたのだろうか。ひょっしたら、遺体自体や、遺体が乗せられた船が漂着したのではないか。
このような疑問が次々と湧き上がる。加えて、
・漂着して惨劇が起こるまでの十数日間、村人がなぜ一切関知しなかったのか。
・長姉はなぜ妹達に無理難題を押し付け、自分では何もしなかったのか。
・長姉はなぜ妹達が持ち帰った白蟹を踏み潰さず手水鉢に投げ入れたのか。
・五色浜は割合遠浅の海であり、また飛び降りるような高い場所もない。本当に入水できたのか
といった疑問も起こる。色々と疑問点を整理しながら考えていくと、どうにも話が出来過ぎていて、創作臭く思えてしまう。「五色姫伝説」とは言うものの、それが民俗学的にみて「伝説」に区分されるものかどうかについては、僕としては疑問を抱かざるを得ないのだ。飽くまでも僕自身の私見に過ぎないが。
このような口頭伝承は、大雑把にいえば「民話(物語)」と「伝説」に区分される。両者の主な違いは、話の真実味と具体性にある。「民話」は、「むかしむかしあるところに(名前も明らかでない)おじいさんとおばさんが住んでいて……」と言った形で、誰にでも当てはめることができるような形の「架空の物語」とされる。一方の「伝説」は、場所や人物が限定・特定され、主に実話として語られる。この「五色姫伝説」は確かに、語られている場所が「五色浜」に限定されているし、人物も名前こそ不明確なれども「五人の平家落人の姫」と特定化されている。しかし、これを「伝説」といってしまうと、何となく「この話は史実に基づくのではないか」という錯覚を引き起こしかねない。だから、僕としてはこの話を慎重に取り扱いたいのである。
この辺りで見られる「五色の石」は、愛媛県内の他の場所ではなかなか目にすることができない。これを名物として、より印象的にするために創作した話ではないのか。こんな風に穿った目で見てしまうのが僕の何とも悪い癖である。
以上のような伝説に対する考証については、『伊予市の歴史文化』(伊予市歴史文化の会)という冊子の中で『五色の姫はどこから来たのか?』と題して論文を発表している。伊予市立図書館やこたろう博物館に蔵書があるので、興味を持たれた人はぜひお読みいただきたい。
この物語には、以下の話が付け加えられている。
五色の石を手にして悲しみに打ちひしがれ、石になってしまった姫達が生き返ってくれることを日々願った。人々の涙が、数滴五色の石に降り注ぐと不思議なことに五色姫達が蘇り、土地の人々と幸せに過ごした。以来、「五色の色に願い事をするとかなえられる」という言い伝えが広まり、祈願成就の「ねがい石」として現代に伝承されている。ねがい石は特に五のつく日と祭礼日に五色浜神社へ奉納し、願い事をすると叶えられる。
これに基づき、毎年3月の第4日曜日に「女性の祭典-五色姫復活祭」というイベントが開催され、商店街で「ねがい石」の配布もなされている。地元の活性化のために物語が活用されることは良いことだとは思う。僕などがとやかく口を挟む筋合いもないのだが、これを「歴史を語るための材料にする」場合には注意が必要だろう。
以上、7回にわたって「五色浜公園散策」シリーズを続けてきた。単に公園一つをとっても語るべきことは多い。もっと一つ一つについて詳しく触れたいものもあったのだが、紙面の都合もあり、端折った部分があることも否めない。語り足りなかった部分については、是非現地に足を運んで皆さんの目で現物を確かめつつ、情報の掘り起こしを進めて欲しい。身近な場所は意外と「知のワンダーランド」であることを実感していただきたい。
◆お店の詳細◆
店名:こたろう博物館
住所:愛媛県伊予市灘町60-3
電話:(非公開、詳しくは店頭で)
営業時間:10:00~19:00
定休日:火・水曜日
(その他不定期休がありますので詳しくはホームページ等のカレンダーでご確認ください)

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

伊予市ガイド vol.236【こたろうの『伊予市、ナニミル?ナニヲシル?』】 第49回:五色浜公園散策-(7)

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