70年安保を一人の逮捕者も出さず、権力と闘わなかったK派が、ここぞとばかりに背後からおそってくるのには恐怖を感じました。こんなことありなのかと。
組織建設を第一とするこのK派はいったい何者か、まあ今日的に云うと、レーニンやスターリンがやってきたことであり、政治力学的に云えばそれもありかとは思うが、しかししかしです。
このK派の理論的支柱である黒田寛一の著作物(たとえば「ヘーゲルとマルクス」)を読めば、ほんと何を云ってるかもわからない観念的シロモノです。加入戦術―大衆闘争の解体―党建設という恐るべきことです。
これはロシア革命の皮相な分析です。現象であって事実ではありません。
岡山ではK派は登場はしてこなかった。
日本原闘争にもK派としては加入してこなかったこともあって、それほど意識してはいませんでした。
ただ、1975年の九大学生であった石井虐殺は大きな衝撃を受けました。
それまでのK解体がいつの間にかK殲滅と変わっていました。
1976年の9月に私は突然戦線から消えていました。その理由については今は云えないものがあります。
まだ戦線にとどまろうかどうかと迷っていた苦しい時です。迷いに迷っていました。
日本原自衛隊基地での投石事件があった直後のことです。
1977年2月12日 中原一虐殺である。
この報道を新聞で見た私は非常にショックを受けました。もうこれは言葉では表現できない。いまだこれを受け止められないものがあって、今もつづいています。
私が中原一を実際に見たのは、神奈川大学です。1972年頃です。物静かな長身の男です。
二度目は、ある場所での学習会で直接講義をしておられた。確か「中国革命について」「毛理論への反論」みたいなものでした。
中原一はまだ30歳にもみたない青年であった。
解放派の理論的中核をつくっていった行動派です。
私はこの事件後、一切ものを考えられないという思考停止になっています。
もっと苦しいこともあります。夜、睡眠障害が起きてくる。睡眠中に突然意識が目覚めて幻覚、不安や恐怖感が出てくるのです。
眠っていても半分現実、半分夢の中にいるようで苦しくなってしまう。
運動から引いてしまったこと、中原一虐殺の受け止め方に根本原因があるとは思うのですが、なかなか癒されることはありません。
今では人間とはこんなもんだと、せん妄が起きても気にせず、目の前におきていることだけ、それも解決できることだけにして生きています。
解決できないことは、その人の現在の力ではできないのです。
今の知的レベルではできないのだったら、その問題をそっとそのまま保全しておくのです。待つのです。
やがて、できる時が来るかもわからないし、できないかもしれない。
それをいたし方がないとする以外にないのです。
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