この時点では、いくつかの就職の道がありました。しかし、足枷がありました。10・11月闘争の裁判がつづいていたことです。
就職をするためには、この裁判に決着を付けなければならない。すなわち「すみませんでした」と頭を下げることです。そうすれば一回の裁判で執行猶予がついてくる。私にはこれができなかったのです。
これは形だけ頭を下げることだとわり切った考えもある。げんに多くの学生はそうした。そうせざるをえなくさせているのも権力です。私にはマリア像を踏むことが出来なかったのです。
私はその後10年余り、何度かこの公判のために東京地裁に通ったのです。
判決は一審で1年6ヶ月の懲役、二審で1年6ヶ月ただし執行猶予付きでしたが、決着がつくまでに15年かかったのです。
この失われた15年と更に執行猶予の期間を合わせると、ほぼ20年間となります。東京高裁での判決日前に国選弁護人から連絡があり、統一被告団15グループの中で私が執行猶予がつくかどうかわからないと。
判決日直前であっても裁判官は読んでくれるから上申書をあらかじめ書いておいたらどうかとの助言がありました。
そこで私はいくらかの反省態度と再犯のおそれがないこと、すでに家族を持って古本屋を営業していること、事件から15年も経過しているので今更懲役刑で罰を加えることの意義や意味がないことを書き実刑が出されないことを上申しました。
客観的に見ても実刑の妥当性はもはや年月の経過でなくなっていることを訴えました。
だが、15年間も裁判を長引かせてきた責任は裁判所にもあるのではないかとも考えました。
何か論理的な仕返しがないか― 自然とある思いが浮かんできました。
ささやかな抵抗をしたわけです。上申書のなかでそれを表現しようとしてきました。以下の内容です。
それは1975年ベトナム側の軍事的勝利によって、アメリカ ― ひいては日本はこの戦争に敗北した事実です。
このアメリカによるベトナムへの介入、虐殺がいかに誤ったものであったかが証明された歴史的事実です。事実としてこの戦争によってアメリカ社会は分断され、傷ついたのです。
(2022年ロシアがウクライナ侵略によって同じ過ちをしている。大国の論理と政治意識は私にはわからないが、ベトナム戦争と同じことをしていると思う。)
いわば反戦闘争というものは敵を殺すなということです。ですから、日本に対してアメリカが始めたこの戦争に協力しないように訴えたデモでもあったわけです。
日本の人々サイドでは、ベトナムに対して、さまざまな支援をしたのです。
医薬品や衣類の人道的支援です。1975年、ベトナム人は長い抵抗のなかでひるまず闘いつづけてきた結果の独立と南北統一が実現したのです。
こうした米国・日本が勝者であるベトナムに有罪判決を下すのは、論理的矛盾・転倒です。何の意味もない。むしろ国際世論は、アメリカ・日本に有罪判決をつきつけているのではないでしょうか。
アメリカの敗北という歴史事実は、敗北という判決が下されているということ したがってそれに協力した日本政府も同罪である。罰されなければいけないのは日本政府であり、デモをした私ではない。
歴史が日本政府に有罪の判決を出しているということは私たちは無罪である。歴史事実は、あの時(1968~75年)反戦闘争を共に闘った日本・アメリカ人の良心の勝利でもあります。
まあ、ちょっとややこしいが、長期的スタンスから見れば、敗けた政府が反対していた連中に罪を擦り付けるようなアテコスリです。
以上のような上申書を提出し、効果があったかどうかはわかりませんが、執行猶予がついた判決でした。
その時には私には3人の子どもがいました。もし実刑であったなら、未決算入が300日ほどあったので、8か月ほどの刑務所の労役が待っていたのです。
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