この当時は、アメリカへ行くには査証が必要だったのです。
「あなたは、アメリカの空港までは行けますが、おそらく入国はできません」とある人に云われたのです。アメリカはテロリストについては厳しいというのです。
何とかならないのかと、2・3の松山の弁護士に相談しましたが、そんなことはできないと拒否されました。
諦めてしょんぼり帰ろうとすると、ふとある弁護士の事務所看板(喜与町)が見えてきました。
エイヤーと2階を登っていきました。これでだめなら終わりと思いました。
ところがその弁護士はニンマリとして「アメリカ領事館と交渉したらOKですよ」と云ってくれました。その場ですぐに掛け合ってくれました。
分かったことは、学生事件の判決文、アメリカでの身元保証、旅行の目的を書いたもの、この三つを出せば考慮するということでした。
1969年10・11月安保反対学生事件の判決文は、手元にありません。東京地検が保存しているので本人が東京に行く必要があったのです。弁護士がすぐに電話で請求してくれ、1週後には東京地検から送られてきて、入手しました。
私は、アメリカ文化に触れてみたい気持ちでした。アメリカの流通業(とくにウォールマート)やアメリカの書店、古本屋を見てきたい気持ちを書きました。
70年安保闘争時は、私が反米主義者としてあったわけではありません。
アメリカが始めたベトナムでの戦争に協力していく日本政府への抗議としてあったことを述べたと思います。
心情的なこととして、もうすでに学生事件(逮捕)から20年近くたっていること、私には家族がおり、生活があり、テロリストではないことを述べました。
一か月くらいかかりましたが、これらのことを受け入れられたとアメリカ神戸領事館から連絡、ドキュメントがとどきました。アメリカという国のふところの大きさに感動しました。
この時お世話になった弁護士が白形允でした。
彼は1967~70年の東大闘争でも活躍し、その後地元松山にかえって弁護士事務所を開いていました。
だが残念なことに、44歳の短い生涯でした。
彼については『純粋無比の清冽』を読んでください。
その時の弁護士事務所でのやり取りは2つ覚えています。
①先生、手数料はいくらお支払いしましょうか?
―帰ってきたら、アメリカの話を聞かせてくれ。
②
―それより君、帰ってきたらトロッキー研究会をやらないか。
ところがアメリカから帰ってきてみると、白形氏は逝去しており、もう事務所が無くなっていました。アーメン。
かくして、トロッキー研究会はやれませんでした。
地元大学の先生と弁護士に助けられ、まずはアメリカに行きたい準備ができました。
アメリカでの査証スタンプがあれば、ほとんどの他の国に入国できることもわかっていました。
ここで弁護士について苦言を呈します。
法律的知識に乏しい人が相談にドアを開けるとどうなるか。
ほとんどが胡散臭い眼で見てきます。私の場合もそうでした。こちらが用件を話すと何も言わない。どうにかなりませんかと云うと、たくさんお金が入用ですよと云ったまま無言です。
2か所に行ったが相手にされない。お客の要望を聞いて「できるだけの努力をしましょう」とも云ってくれないのです。
ここで話をもっと古く、1970年代にバックさせます。東京では逮捕されるとすぐに弁護士が来てくれて黙秘権について説明します。警察はしゃべらせようとして『黙秘していると被告人の不利になりますよ、むしろ君の有利なところもあるのだから、取り調べに応じたほうがいい』と云います。この点がミソです。有利な点があっても、裁判の過程で弁護士と相談して自己弁護するほうがベターなのです。なんとなれば、拘留期間の22日間という制限の中で警察は立証しなければならないし、もし証拠が十分なければ起訴さえもできません。
そしてさらに重大なことは、警察はちょっとした事件であっても、それを拡大して犯罪の要件に入れてしまいます。事件を拡大して、大事件、大大事件のようにグレードアップするのです。
私の公安事件の場合は、弁護士の接見、下着類や日常使用する洗面道具を差し入れしたのは統一救対です。公選弁護士であっても「こんなデモにかかわる公安事件を重罰化していくのはよくない」と云っていました。人々が政府に対して反対の意志表示をすることは、そもそもの原因は政治にあるのだから、そこを論ずべきであると弁護します。
岡山にいた頃は、二人の弁護士がデモの逮捕者や企業の解雇案件に対して支援をしてくれていました。しかもほとんどギャラなしでです。
私らの仲間が逮捕・拘置された場合、私らの車に乗って岡山刑務所まで行ってくれました。当時、寺田とか云う弁護士がいて、岡山市長もしたことのある人ですが、多くの岡大生を支援していました。彼は、後半の最終弁論で一人の弁護士として革命無罪論を堂々と主張していました。
公判の場と云うのはその事件が起きてきた社会―個人をつぶさに論議し、その原因を明らかにすること、必要以上な重罰化を与えないこと、このことによって事件を起こしたものも何か変化があって更生されるのではないでしょうか。
私が松山でたまたま行った弁護士事務所が、金儲けのブルジョア保護のそれだったようでした。
白形允弁護士は二度の逢瀬でしたが、純粋無比の人、人権派弁護士でした。
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