城崎勉(日本赤軍)の判決は不当である。
1977年にダッカ事件で超法規的措置で釈放され、その後海外に潜伏していましたが、1996年にアメリカに移送されました。米国からの釈放(2015)後、日本でジャカルタの在外公館に対する追撃弾発射事件に関与したとして、逮捕・起訴されました。
2016年に懲役12年の判決が出されました。
私は城崎とは同年代でした。直接話をしたことはありませんが、徳大での集会で赤ヘル(社学同)が何人かいたのを覚えています。
その後彼は私がいた組織のアジト(倉敷市水島)に立ち寄っていて、そこに荷物を置いたままどこかに行ってしまいました。会ってはいないが、前後したわけです。
その後アジトの移動のとき、城崎の荷物の中から彼が持っていた写真10枚位をずっと最近まで持っていました。というのは、M作戦とかで捕まり、1971年に懲役10年が確定していたのを私は知っており、彼が刑務所から出てきたら渡そうと思っていたからです。その写真は今は弁護士のところにあります。
2016年のジャカルタ事件に対する判決(懲役12年)は不正当です。
①彼がこの事件に関与したというのはホテル従業員の目撃証言です。日本での法廷証言はありません。したがって、信用性がないのです。
②ホテルの一室から彼の指紋が見つかったというのは信用できません。もし彼がいたなら指紋を絶対残すようなヘマはあり得ないからです。彼の指紋が残っていたのは、アメリカCIAのデッチ上げの可能性が高いのです。
③追撃弾にしてもちゃちなものであり、物理的被害も軽微なものであり、人的被害は全くありませんでした。
④城崎被告以外に犯人はあり得ないとする検察側の主張には信用性・科学性がありません。見込んだだけです。
これでは政治裁判(=報復裁判)です。ちゃんとした司法手続きも行わず、状況証拠だけで判断したインチキです。
私は城崎と三つの共通点があります。
一つには幼少期の貧しさです。
二つには大学ではほとんど単位をとっていない。
三つには、「反帝・反米主義」にこだわり、この点を裁判で何故最後まで強調したのか。彼にはそれが不利となるのはわかっていたはずなのに。
貧しかったというだけでは、なぜ彼が極左に入ったのかの理由説明はつきにくい。貧しかった人は、上昇・安定傾向は強いが極左―全共闘に入っていく原因ではありません。闘いに決起していくのには、貧しさは燃料とはなります。どう生きていくかは一人一人の思想です。
二つ目は、当時大学の使命は、真理探究の場=象牙の塔という考えがありました。
大東亜戦争時にわずかの抵抗はありましたが、軍部の支配下で言論統制下にあったことの反省からです。軍国主義一色から民主主義と自由を重んじる風潮がありました。
現に大学の教授は「全部の教科をまんべんなくやるより、これといったものをとことん追究・学究していくことが重要である」と云っていました。まじめに政治に取り組んでいったのだから、これで良しです。
反戦闘争や学生闘争をやっていた連中は、授業にも出られないほど忙しかったのです。
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