岡山から引っ越してきて間もない頃、私は松山でも2年ほどチリ紙交換をしていました。
日銭を稼ぎながら、古本屋オープンの準備をしていました。
1982~83年頃にはすでに、愛媛県故紙センターという大きな製紙原料問屋ができていました。トラックをリースして、個人にチリ交をやらすというスタイルがついに四国にもでき上がりました。
この時松山では、古くから2業者のみであったところ、1業者の参入があったおかげで競争原理が働き、一般・チリ交の買取値が上がりました。
チリ交は、土・日には家族がよく家の中にいることから、他の曜日よりエモノが多い。しかも南予のほうにはチリ交がいなくて、松山から3時間かけていっても採算が合っていました。
とくに宇和島は、家が密集していて、よく新聞や雑誌を出してくれました。朝の4時ごろには松山を出発し、峠を三つ(中山・犬寄・法華津)超えて、8時ごろからスピーカーを鳴らしました。
夜は6時頃宇和島を出発して、10時ごろに松山に着いていました。
やがて高知にも行くようになり、紙の値段14~18円ぐらいだと2tほど買うので、3~4万円の収入となりました。
次の朝高知のある問屋におろすことになります。現金払いです。
どういうわけか、高知人は親切でした。問屋のヤードには入口にトラックの計量器があって、そこで重量を計る。簡単な事務所がありました。そこの2階休憩室に泊まれというのです。
ここの社長にはずいぶんとお世話になりました。筆舌に尽くしがたい親切と友情をもらった恩人です。
昼間働いて夜はそこで泊まらせてくれるわ、おまけに自宅に招かれてお酒をふるまってくれたのです。
土佐人の気質でしょうか、あの絵金(江戸時代の絵師)のおどろおどろしい屏風がストリートに立ち並ぶ高知県赤岡町です。
この会社の社長は、ビルマ戦線の生き残りです。戦友の慰霊に行って帰ってから、間もなく死にました。御子息は、戦友の霊が呼んだと云っていました。御子息2人があとを継いでいます。
土佐弁にはあたたかい情がこもっている。酒のおかわりができないようでは土佐人とは付き合えない。
「おんしは、おまんはおれのついだ酒を飲めんのか」と絡んでくる。
後に私が古本屋をオープンしてからも、コミック・文庫などちゃんと片隅によけておいて、出してくれました。5~6年は、2か月に一回高知まで取りに行っていました。
私はチリ交をしていました間に付き合っていた岡山や高知から、大量に特別の仕入があった。このことが写楽堂の競争力であり、写楽堂発展の秘密であった。
企業には、他社にはない仕入れの秘密が必要です。
高知での思い出は他にもあります。
問屋の倉庫前に、段ボールを集めてきたリヤカー引きが開店を待っている。何台も続いている。
「オープンをしても動かんので、近寄って声をかけてみると返事がない。死んどんですよ。今年の冬は寒さが厳しくて、もう何人もですよ」と云っていました。
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