この後、高松でも高校生が大学に出入りするようになりました。
68-69年1月東大安田講堂の落城が、若い彼らを突き動かすものがあったのではないでしょうか。
そのうち何人かがベ平連をつくっていました。私はこの高校生たちと、全逓青年部の人達何人かで、街の中心地河原町駅前で、フォークソングの集まりをもって毎土曜日歌っていました(まあこれは、当時新宿西口でやっていた岡林信康らが歌っていた反戦ソングの地方版です)。
この時分、ものすごい反戦論者と出会いました。この年配のオッちゃんは革命をやるのだったら武器を調達せなあかん、と云っていたりするのです。
このオッちゃんは、当時日本向けの中共プロパガンダであるラジオ放送を聞いています。中国は三里塚闘争を支持すると云っていたと報告もしていました。
ベトナムに衣料品・薬品を送ったりもしています。北朝鮮にも衣類が足りないからと送ることもしていました。ちょっとすると北朝鮮からは衣類は足りているので送金をしてくれと云ってきたらしい。
5・3の憲法記念日は毎年何人かの人に呼びかけ、街頭デモをしていました。
高松最後の5・3デモは、オッちゃんとオバちゃん、マゴの3人で。これは朝日新聞が記事にしています。
このオッちゃんは、高校生であろうと大人であろうと、店の2階に泊めてメシを食わせていました。
このオッちゃんは、中国戦線に日本軍として従軍し、士官に常に文句を云っていたそうで、根性があります。オバちゃんはどうも北朝鮮あたりで学校の先生をしていたようです。ロシア軍の南下のときオッちゃんが家に立ちより日本軍は敗戦となったので日本に急いで帰るように云われたそうです。
これでいっしょに日本に帰れると思っていたら、なんと夫は「いっしょには帰れない。部下の兵隊たちがいるからその責任がある」と云って駅で別れたそうです。これが夫との最後の別れとなりました。日本に帰る途中で一人の子供を亡くすことになります。
この大東亜戦争は、戦争に参加した一人ひとりにとってこのようなむごい結果をもたらしました。
このオッちゃん、オバちゃんは再婚でした。オバちゃんは義をもって反戦を叫んでいた歌人(短歌)です。ロシアの1904年頃の、ツァーの弾圧下でナロードニキ・文学者の連中を思い出させます。
オバちゃんが、この私に言ってくれた言葉「義を重んじる者は義に死す」は忘れることができません。
その後その通りになりました。義を手にしたものは捨てることはできないのです。
オバちゃん、オッちゃんは、この他にもたくさんのことをしています。自らの過去にもとづく反戦の話、そして映画「沖縄列島」の自主映画上映を成し遂げています。それも市民会館でやったのですよ。場所代が足りなかったらオバさんが出すというのです。この2人は知ってはいても何もやろうとはしない状況からのハネ上りの一点突破でした。
この企画は大成功でした。
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