私のケース
毎度おなじみのチリ紙交換のお話です。
古本屋にも公然の秘密があります。
それは古本の仕入をチリ交の人から買入していることです。
これはお客に知られるとちょっとまずい。汚いというイメージがついてしまうからです。
だからお客の前では、ちゃんとした家柄の紳士から買っていると豪語する。または本屋業者間の市で買う。
だが、もとをただせばチリ交から買ったものが多かったのです。
1980年代の頃、古本屋が全国的にニョキニョキ出てきたのは、このチリ交の大量発生があったからこそです。
いくらか見下げた言い方で、街の中を「古新聞・古雑誌はありませんか」とトラックで流していく人々をチリ紙交換と云います。こういった人々は自嘲気味に自らをチリ交という。チリ紙を用意しておいて、これを古新聞などと交換するところから名づけられたのです。
私も30~35才頃までの間チリ交でした。このチリ交には2種類がありました。トラック一台を所有している人たちと、製紙原料問屋のその下に作られた飯場=建屋からそのトラックをリースしている人達の2種類です。
自分でトラックを所有している人は、その日その日仕事をするかしないかは自由です。
ところが、トラックをリースしている人達は懸命です。リース料を払わないと、トラックを貸してもらえない。
もう後がない人が多かった。それは何故か?
古紙の回収先は、再生紙工場である。大企業である。
紙の使用量がその国の経済発展度を測る尺度と見なされていた時期、1980年前後である。
高度成長が始まっていた時期はオイルショックが重なり、回収された古紙原料の問屋価格がゆるやかな上昇となっていました。
私がチリ交となった時期は、第二次オイルショック後であり、暴落していました。
新聞―雑誌がそれぞれ1kg3~7円の売り値でした。この価格では、利益がほとんど出ません。
それが1kg7~12円とやっと回復してきたのが1977年であり、この時期に私はチリ交となりました。
それでやっと採算が合うようになってきました。1978~1983年頃にはすこし値が上がってきました。
そうすると、トラックを何台か所有してそれをリースして故紙を回収する業者が出てき始めました。岡山資源とかという名前だったと思うが、そこが「チリ交1万円可」という新聞広告を出していました。
そこに1ヶ月ほどいましたが、ちょっと危険な雰囲気があった会社でした。私はそこから離れ独立した時、トラブルも発生しました。後に述べるように、この会社社長はそこの従業員に殺されてしまったのです。
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