1969年10月19日 大学本部の封鎖はたったの1日間、12時間の攻防でした。
次の朝、「きたぞ」という声でうつらうつらから目をさまし、屋上にかけ上りました。なんと、学生会館の方から本部に向って「封鎖解除」(なんとかけ声をかけていたのかは実際知らないが)のデモが押し寄せてくるではないですか。
一般学生と民青の人達です。500~1,000人ぐらいの規模に見えました。その時、もう一つのヘルメットを被った学生たちがデモをしてくるではないですか。これはうれしかった。
封鎖ストを支援する一団のデモ隊は100名ほどでした。
大学当局の教授達が封鎖解除をしようとしたり、話し合いをしたいとか云いながら実力行使でせまってきます。2時間ほど攻防が続きましたが、昼にはこの対決(三つ巴)は終りました。
昼食時になってはじめて、水・食糧がないことに気が付き、外に出ておそるおそる学生会館の一階にあった学食に行きました。途中で拉致されて袋叩きにあわないかと心配していたのですが、そんなことはありません。それは、バリケードの中に入ってこない人達の中にかなりの反民青感情があったからではないでしょうか。権力と闘う人間・学生への共感があったのです。
教育・経済学部の自治会を占めていた民青の人達への反発も相当ありました。
民青といっても、日共ではありません。当時、三学部(経・教・農学)は民青がとっていました。彼らの主張は、学生という身分と授業を受ける権利を守れという主張です。安保も沖縄も関係がないのです。
民青は学生という特権が保証されれば良いのであって、三派系全学連とは位相が違っています。
我々は大きなベトナム反戦のうねりを作り出していくことによって、政府が行っている米軍への加担を止めようとする。一方日共、民青はこのことに小市民的利害をくすぐって、大学を破壊しようとしているとして我々に反対しているだけです。
ここで一つの判断が下されます。
バリケードを放棄して、首都決戦に向う。
個別の闘いより、10・11月闘争の大爆発をということです。香川大・徳島大とそれぞれ別個にバス・新幹線を乗り継ぎました。都内での反帝学評決起集会に参加し、都内の××大学の寮に泊まり込みます。そこでの意思一致は、最大限のことをやるという一点です。それと、逮捕されても完全黙秘(刑事の取り調べに対して黙秘権を行使する、仲間のことはしゃべらない)の意志一致が確認されました。
翌日、10月21日は国際ベトナム反戦デーで、都内では各団体が集会・イベントを行う予定です。
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