かつての写楽堂バイト生は今いずこ
かつて、と云っても30年前のバイト生、山川君(仮名)が突然、私に会いに来てくれた。
「当時の貧乏なバイト生であった時分に飯を食わしてもらったのはありがたかった」とおっしゃっていただいた。
もう、50歳過ぎのオッサンになっていた。社会や企業の中核を担っている年である。2人の高校生・大学生を持つ親となっている。
こうしたケースの場合、私の立場から云えば、かなりのことを忘れている。昔、社長は、こんなことを言っていたと言われても、そんなことを言うたんかなあ となる。
私の息子を連れて、香港写楽堂に来たのを思い出す。息子とは年が近かったので、子どもに楽しく接してくれていた。
彼と彼の友人二人のコンビであった。このコンビは漫才で云うところの突っ込みと、突っ込みを矛をもってうまくかわしていく彼は、人生の達人である。温容な性格は、彼のこれからの人生にとっても役に立つであろう。相手の人格を否定しないで相手方の提案をひとまず受け入れていく態度は感銘を受けた。
当時7店舗+香港店を経営していた写楽堂のバイト学生は、30名くらいいたのではないだろうか。
松大生のバイト君からはレポートの提出手伝いを頼まれたこともあった。
思えば、音楽とくにJAPAN POPからニューミュージックには疎い私であった。今もそうである。
CDやゲームソフトの販売などは、私にはからっきし知識がなかった。教えられたことが多かった。
コミックについても私の知識は、50~60年前のもの、貸本時代からであるが1970年位までのものである。
1980年~1990年ごろの少年コミック誌にはとてもついていけなかったが、従業員やバイト生に教えられたものである。
香港店オープン時には、香港理工大の女子学生がバイトに来てくれたのであるが、彼女らのほうが日本のことをよく知っていた。
当時は、VHSで日本のテレビドラマなどは録画され、香港に送られて、リースされていた。
木村拓哉やスマップなど、また日本のサッカー選手などをよく知っていた。チャゲ&飛鳥、酒井法子などは、コンサートツアーで香港にも来ていた。
50歳近くになっていた私の方が全く知識がないのである。
香港の店づくりなどでも看板に「日本書店」と書き込み、うる星やつらのラムちゃんのポスターを作ってくれた。まさに文化や芸術、音楽、ゲームなどは国境を越えてファンを作り出していた。
こうした社会現象は、日本人の優越意識をくすぐっていたが、これは間違いである。単に国境を越えて、文化を楽しむだけのことである。
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