××年、香港ポルノ事件は4ヶ月かけて解決し、松山に帰ってきました。
1989年秋、まんが喫茶が全国的にブームとなりつつある時です。まんが喫茶は私が松山で初でした。
この時、松山地裁で競売物件(平田町)があって、建物・土地とも広い。入札をして運よく手に入れることができました。
開店までの準備は、食品卸問屋のニッカコーヒーさんがいろいろと手伝っていただきました。
開店から閉店までの7年間をかいつまんで述べたいと思います。別会社まんが喫茶シャーロック㈱を立ち上げました。
まんが本の在庫数も3万冊余、リクライニングシート、テーブル、いす、パソコン、厨房器具と1,000万円位はかかりました。
6~7年とうまくいきましたが、じわじわと売上げが落ちてきました。
この時に私はミスを犯してしまいました。つづけて、大街道店、松前店とオープンをしたことです。
この2店舗では、2,000万円ほど失ったと思います。全くの失敗です。
結局7年目にして、閉店やむなきにいたりました。
私が取得したこの土地には食器・贈答品のお店がありました。レイアウトが素晴らしく、ここならいけるとふみました。
駐車場も15~20台ほどあります。テーブル、いす、リクライニングシート、パソコン数台を入れました。一番金がかかったのは厨房機器です。ガス、洗浄機、冷蔵・冷凍庫です。これらで約1,000万円の初期投資が要ります。オペレーションのコストを下げるために、フリードリンク制です。読書時間(入店・出店時)によって1時間100円の加算ですが、これをレジでやるのは大変です。ソフト機器をリースしました。
次は、料理メニューの作製とその準備です。この点は開店準備を手伝ってくれた女の人がメニューについていろいろと提案してくれて大助かりでした。
朝食・ランチを作り、売り一番のメニュー、これは手作りハンバーグ、カレーライス、鶏のから揚げ、スパゲティーに決め、プロの料理人から指導を受けました。一口カツも大好評でした。
私は成功はしなかったけど、7年間もやった実績からして、もう一つの肩書、シェフ岡本でもあったわけです。
香港グルメの経験を活かした香港風、アジア風、日本風カレーライスとなりました。良く売れました。
一回に100人前の大きな寸胴(アルミ製)に材料を入れて仕込んでいくのはしんどさよりも楽しさが上回っていました。タマネギを炒める、カレー粉を溶かし込む、ひみつの××をぶち込む、味を調える、3時間かかります・大きな寸胴を冷蔵庫で2日眠らせて完熟させます。一回の仕込みで80杯分のカレールーをつくります。
本、コミックも一冊一冊をビニールカバーで保護する作業も手間がかかります。コミックも持って帰る客もいれば、それを写楽堂山越店に売りに来る猛者もいました。中にはくり返し無銭飲食をする者もいます。すっといなくなるのです。一度捕まえてもまた平気でやります。
7年目になって、財務上の問題が発生します。建物には減価償却がつきますからいいのですが、土地に相当する銀行ローンの支払いは、利益処分です。銀行ローンの毎月支払いが80万円だとすると、税金分50万円が加算され130万円の利益を上げていかないと、会社は維持できません。
この時2005年、写楽堂古書店はまだ3店舗、山越本店、城北店、松前店が残っており、これも撤退するような悪い業績でした。支払いが一番きつかったのはこのまんが喫茶ですから、これを売るなり、リースするなりして処分することにまず着手しました。まさに四面楚歌にはまってしまいました。
私がこの平田町の物件を手放すことには二つの難関がありました。一つは銀行が同意するのかどうか、リースする会社が現れるかの二者択一です。銀行の同意は得られました。リースの申し込みは3社ほどありました。
まんが喫茶の事業は果たして成功したのか、失敗したのかと問われれば失敗ですと答えます。
香港でのポルノ王事件での失地回復の意気込みだったのです。でもやらないよりはやったほうが良かったと云えます。アメリカ人が書いた本に「貧乏父さん、金持ち父さん」というよく日本でも売れた本があります。ここで云えることは、商売人は自分で働いて身体や心が壊れるほど働くべきだということです。私もそうしてきました。でもそれではいずれ限界が来ます。もう一つの大事なことがあります。このベストセラーの本の中では、土地なり、株なり、教育に投資する必要があるということです。私は半分は成功したという心境です。
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