【問い】そのときに労働組合の設立、交渉が通告されたわけですね。社長のとった基本的政策は何でしたか?
答:
私は基本的態度として、組合をつくった従業員の心を傷つけないようにしようとしました。
組合をつくって労働条件を上げていこうとする従業員の気持ちを大切にしようと思いました。
従業員も大変でしょうが、社長もかなり動揺していました。
まず自分の考えを決める前に、第三者の意見を聞くことにしました。
松山商工会議所、A銀行、県商工課に行って相談し、アドバイスを受けました。激励をもうけました。
ここでのアドバイスは4点です。
「会社の存続を第一に考えて対処する」
「できることは認めてあげる」
「相手の要求全部認めなければいけないわけではない」
「賃上げはよく考えてする。収益が上がったからと言って上げると、下がったときには賃金を下げてくれるわけではない」
【問い】組合の設立要求はその後どうなりましたか。
答:
組合の要求について検討し、団交=話し合いの場に臨もうとしたとき、委員長である会社の部長(本当は部長には組合資格はありません)が、突然体調悪化を理由に出勤しなくなりました。ほどなく一身上の都合で退職願が出されました。
結局、組合の代表がいなくなってしまったわけで、団交は行われませんでした。組合書記長は沈黙します。
この部長(外販の責任者)は、明らかに業務の推進をしてはくれません。業務として承認されていないパソコン雑誌を買って研究をしています。注意をしても聞きません。それで1年辛抱して待ってから解雇を通告しました。部長の抵抗にあったわけです。
【問い】組合の設立というより大脱走、分裂だったのではないですか?
答:
部長でもあり、組合委員長であったA部長の辞職後、No.2の書記長もやめてしまいました。
組合設立は、新会社「もいち堂」の設立のためだということがわかりました。
もいち堂の営業により、写楽堂の主だった従業員のほとんどがスカウトされて辞めてしまいました。
私は重要な、有能な人材を失ってしまいました。相当落ち込みました。お一人フクロウになりました。大半の従業員は失ったけれどもこのことによる宝物=メリットも発生してきました。
それは言えませんが…。個人的に聞いてくればお答えします。
要するに組合設立という取引は悪いことばかりではありませんでした。
【問い】この分裂騒動の結末はどうなりましたか?
答:
大半の従業員が次から次へと「もいち堂」に移っていくわけですから、写楽堂の9店舗維持はできません。
この騒動の結果、7店舗のうち4店舗の維持は難しいと判断して、逐次閉店していきました。
ブックオフの久米地区への出店も相まって、これでは勝ち目はないと判断して執行しました。
その後「もいち堂」は、松山東方面にも2号店の支店を出し、ここでの闘いはひとまず写楽堂の敗北でした。
「もいち堂」は同時に愛媛県古書組合にも加入し、ご活躍をされました。
写楽堂は手足をもぎとられた人形のようになりました。
分裂して新会社をつくってやるのは良いが、次から次へと従業員が引っこ抜かれていくのはたまったものではない。
それでもこんなことは気にしている時間がありません。今までも苦境の中でやってきたことだし、どうってことはありませんでした。
残ったパートさんが力を合わせて、去っていった人間の仕事をカバーしてくれたし、より結束も強くなりました。
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